Loading…
要素
割注頭注
OCR テキスト
ステーヘン, 〔一六四六年〕, 同〔月二十八〕日, 午前中然るべく良好な天気、北東の風。七時頃、レイニール, 〔一六四六年十月〕, 〓当地日本の長崎商館に於ける会社の業務と活。動の長たるウイレム・フル, が出発した後の日記, ファン・ツム閣下は、上級商務員ブロンクホルスト氏, によって記され, た、一六四六年十月二十八日にレイニール・ファン・ツム閣下〓, やその他の, ○正保三年八月二十九日に始ま, り同年九月二十三日に及ぶ, 年には財務官に昇進した。一六五一年四月、使節として、タイオワン・トンキン及びクイナム, に派遣された。一六五二年にはバタフィアの法務委員に任命され、同年十月帰国を許された。, 六四五年十一月三十日より一六四六年十月二十七日まで長崎で商館長として勤務した。本書訳文編之九、九九頁参看, ○正保三年九, 一六四七年十一月に日本を去ってからは、東インド評議会員外参事に昇進し、一六五〇年には下級裁判所長、一六五, 六四六年在任)。一六二九年よりシヤムに勤務し、一六四一年同地で上級商務員に昇進した。バタフィアに戻った後、, 勤務し、一六三四年以降は長崎に居住した。一六三九年十月、彼の妻の母が日本人であったため、日, 月二十日, ○本日記の著者。フリッシンゲン生まれ。一六二九年からオランダ東インド会社の職員として平戸に, 本から退去した。この件については、本書訳文編之四参看。一六四〇年一月バタフィアの法務委員会書記に任命された, ○前長崎商館長, 一六四五|, thonij van brouckhorst或いはブロンクホルスト, ○アントニイ・ファン・ブルックホルストan-, bronkhorst。デルフト生まれ。一六四二年から一六四七年までトンキン商館長。後、一六四九年十一, 五日から一六五〇年十月二十四日まで長崎商館長。本書訳文編之八(下)一九頁、同九、七九頁参看, ファン・ツ, ム出発, 一六四六年十月長崎にて
割注
- ○正保三年八月二十九日に始ま
- り同年九月二十三日に及ぶ
- 年には財務官に昇進した。一六五一年四月、使節として、タイオワン・トンキン及びクイナム
- に派遣された。一六五二年にはバタフィアの法務委員に任命され、同年十月帰国を許された。
- 六四五年十一月三十日より一六四六年十月二十七日まで長崎で商館長として勤務した。本書訳文編之九、九九頁参看
- ○正保三年九
- 一六四七年十一月に日本を去ってからは、東インド評議会員外参事に昇進し、一六五〇年には下級裁判所長、一六五
- 六四六年在任)。一六二九年よりシヤムに勤務し、一六四一年同地で上級商務員に昇進した。バタフィアに戻った後、
- 勤務し、一六三四年以降は長崎に居住した。一六三九年十月、彼の妻の母が日本人であったため、日
- 月二十日
- ○本日記の著者。フリッシンゲン生まれ。一六二九年からオランダ東インド会社の職員として平戸に
- 本から退去した。この件については、本書訳文編之四参看。一六四〇年一月バタフィアの法務委員会書記に任命された
- ○前長崎商館長
- 一六四五|
- thonij van brouckhorst或いはブロンクホルスト
- ○アントニイ・ファン・ブルックホルストan-
- bronkhorst。デルフト生まれ。一六四二年から一六四七年までトンキン商館長。後、一六四九年十一
- 五日から一六五〇年十月二十四日まで長崎商館長。本書訳文編之八(下)一九頁、同九、七九頁参看
頭注
- ファン・ツ
- ム出発
柱
- 一六四六年十月長崎にて
注記 (32)
- 1541,573,70,347ステーヘン
- 1797,572,77,453〔一六四六年〕
- 623,618,54,383同〔月二十八〕日
- 623,1327,56,1510午前中然るべく良好な天気、北東の風。七時頃、レイニール
- 773,627,69,545〔一六四六年十月〕
- 1636,518,95,2347〓当地日本の長崎商館に於ける会社の業務と活。動の長たるウイレム・フル
- 1031,572,68,621が出発した後の日記
- 519,567,57,1336ファン・ツム閣下は、上級商務員ブロンクホルスト氏
- 1339,2391,68,470によって記され
- 1231,571,78,2037た、一六四六年十月二十八日にレイニール・ファン・ツム閣下〓
- 417,2560,51,299やその他の
- 809,1201,41,597○正保三年八月二十九日に始ま
- 764,1200,42,514り同年九月二十三日に及ぶ
- 1372,559,42,1818年には財務官に昇進した。一六五一年四月、使節として、タイオワン・トンキン及びクイナム
- 1329,561,43,1784に派遣された。一六五二年にはバタフィアの法務委員に任命され、同年十月帰国を許された。
- 1124,589,43,2284六四五年十一月三十日より一六四六年十月二十七日まで長崎で商館長として勤務した。本書訳文編之九、九九頁参看
- 650,1021,42,250○正保三年九
- 1431,576,43,2234一六四七年十一月に日本を去ってからは、東インド評議会員外参事に昇進し、一六五〇年には下級裁判所長、一六五
- 1167,569,43,2279六四六年在任)。一六二九年よりシヤムに勤務し、一六四一年同地で上級商務員に昇進した。バタフィアに戻った後、
- 1534,932,43,1929勤務し、一六三四年以降は長崎に居住した。一六三九年十月、彼の妻の母が日本人であったため、日
- 607,1018,43,176月二十日
- 1577,932,42,1934○本日記の著者。フリッシンゲン生まれ。一六二九年からオランダ東インド会社の職員として平戸に
- 1475,574,43,2303本から退去した。この件については、本書訳文編之四参看。一六四〇年一月バタフィアの法務委員会書記に任命された
- 1271,2579,40,287○前長崎商館長
- 1227,2595,40,243一六四五|
- 503,1926,42,940thonij van brouckhorst或いはブロンクホルスト
- 547,1927,41,939○アントニイ・ファン・ブルックホルストan-
- 443,563,45,1949bronkhorst。デルフト生まれ。一六四二年から一六四七年までトンキン商館長。後、一六四九年十一
- 399,569,44,1934五日から一六五〇年十月二十四日まで長崎商館長。本書訳文編之八(下)一九頁、同九、七九頁参看
- 639,305,35,201ファン・ツ
- 589,309,40,116ム出発
- 324,800,42,495一六四六年十月長崎にて
類似アイテム

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 16 訳6 1641年11月-1642年閏9月 p.123

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 18 訳7 1642年10月-1643年09月 p.92

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 18 訳7 1642年10月-1643年09月 p.113

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 27 訳11 1647年10月-1649年10月 p.1

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 25 訳10 1646年09月-1647年09月 p.40

『日本関係海外史料』 イエズス会日本書翰集 6 訳文編之2(上) 天文21年12月~23年11月 p.26

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 12 訳4下1640年01月-1641年01月 p.24

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 18 訳7 1642年10月-1643年09月 p.3