『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 25 訳10 1646年09月-1647年09月 p.13

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はわからなかったのだが、雷鳴と稲妻の天の兆候を伴って現れた。それらの〔船の〕乗員は, 国させられ、一回だけ商品を販売してもよいとされ、今回だけは売ることが許された。, くとも被害は被らなかったが、そういう経験をしたので、それをまだ覚えており忘れずにいる, もかかわらず、それでも、その目と船首はなお常に当地に向けている。しかし、日本人は、彼, しも望んでおらず、それゆえ〔彼等は〕上陸も, 結果となり、夢中になっているので、タルタリア人の臣下で、頭を彼等の方法で剃っているに, 大量にもたらされ、顕著な成果を上げている。その利益は、短い間にあまりにも甘くおいしい, と付き合いたい或いは彼等の支配下にある者たちと何かをしたい等とは少, 嵐の悪天候により〔タルタリア人は〕悲惨な結末を迎えたので、〔日本人は〕少な, ので、彼等, 等の年代記によると、我々の暦法で一二八一年にタルタリア人の四〇〇〇隻の船と二十四万人, で航海して来ており、彼等の生糸と絹製品の貿易で日本を充分満たしており、それ, の兵士たちによって、平戸の後方の博多の海岸を一度襲われたことがあり, 貿易も認められず、かろうじて入, 同じように、ヨーロッパ人についてもまた、とりわけオランダ人についても、以下のように, は、, 述べられている。曰く、去る数世紀の間に、彼等, 述べられている。曰く、去る数世紀の間に、彼等〓の海岸に巨大な船舶が空中に、それ以上, の海岸に巨大な船舶が空中に、それ以上, ○b本「当地で, しているよ,, ○タルタ, ○文永の役(一二七四, リア人, の」を補う。, 年)に続く二回目のクビ, 絹製品一, うである。, ライ・カーンの日本遠征(一二八一年)、すなわち弘安の役に当たる。遠征軍には、モンゴル人とともに、中国人、朝, 鮮人及び女直人すなわちタルタリア人も参加していた。フルステーヘンは、この遠征をタルタリア人によるものと理解, ○生糸と, ○日, 獲得, との交際を, 本貿易で多, ルタリア人, 日本人はタ, 大な利益を, 望まない, 南京人は日, いての妄説, 欧州人につ, 一六四六年十一月長崎にて, (zijde ende zijdewaeren), 一三

割注

  • ○b本「当地で
  • しているよ,
  • ○タルタ
  • ○文永の役(一二七四
  • リア人
  • の」を補う。
  • 年)に続く二回目のクビ
  • 絹製品一
  • うである。
  • ライ・カーンの日本遠征(一二八一年)、すなわち弘安の役に当たる。遠征軍には、モンゴル人とともに、中国人、朝
  • 鮮人及び女直人すなわちタルタリア人も参加していた。フルステーヘンは、この遠征をタルタリア人によるものと理解
  • ○生糸と
  • ○日

頭注

  • 獲得
  • との交際を
  • 本貿易で多
  • ルタリア人
  • 日本人はタ
  • 大な利益を
  • 望まない
  • 南京人は日
  • いての妄説
  • 欧州人につ

  • 一六四六年十一月長崎にて
  • (zijde ende zijdewaeren)

ノンブル

  • 一三

注記 (45)

  • 391,584,58,2291はわからなかったのだが、雷鳴と稲妻の天の兆候を伴って現れた。それらの〔船の〕乗員は
  • 699,575,58,2106国させられ、一回だけ商品を販売してもよいとされ、今回だけは売ることが許された。
  • 1011,569,56,2305くとも被害は被らなかったが、そういう経験をしたので、それをまだ覚えており忘れずにいる
  • 1523,575,57,2305もかかわらず、それでも、その目と船首はなお常に当地に向けている。しかし、日本人は、彼
  • 803,580,57,1155しも望んでおらず、それゆえ〔彼等は〕上陸も
  • 1624,572,61,2299結果となり、夢中になっているので、タルタリア人の臣下で、頭を彼等の方法で剃っているに
  • 1728,579,59,2288大量にもたらされ、顕著な成果を上げている。その利益は、短い間にあまりにも甘くおいしい
  • 908,1038,57,1841と付き合いたい或いは彼等の支配下にある者たちと何かをしたい等とは少
  • 1113,840,56,2035嵐の悪天候により〔タルタリア人は〕悲惨な結末を迎えたので、〔日本人は〕少な
  • 907,580,52,271ので、彼等
  • 1421,573,56,2308等の年代記によると、我々の暦法で一二八一年にタルタリア人の四〇〇〇隻の船と二十四万人
  • 1830,580,61,2043で航海して来ており、彼等の生糸と絹製品の貿易で日本を充分満たしており、それ
  • 1318,580,62,1820の兵士たちによって、平戸の後方の博多の海岸を一度襲われたことがあり
  • 809,2053,52,821貿易も認められず、かろうじて入
  • 587,576,66,2297同じように、ヨーロッパ人についてもまた、とりわけオランダ人についても、以下のように
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  • 489,579,67,1207述べられている。曰く、去る数世紀の間に、彼等
  • 487,579,70,2303述べられている。曰く、去る数世紀の間に、彼等〓の海岸に巨大な船舶が空中に、それ以上
  • 496,1879,55,998の海岸に巨大な船舶が空中に、それ以上
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  • 1244,575,45,2298ライ・カーンの日本遠征(一二八一年)、すなわち弘安の役に当たる。遠征軍には、モンゴル人とともに、中国人、朝
  • 1198,572,47,2299鮮人及び女直人すなわちタルタリア人も参加していた。フルステーヘンは、この遠征をタルタリア人によるものと理解
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