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慮して、行為がそうであるというよりも思慮の不足〔によるもの〕だと考え、さらなる猜疑の, 目を向けずに彼をそのままにしておいたが、しかしそうしている間に病気になり、息を引き取, り死亡した。以前にも、優に一昼夜以上も足で吊り下げられて、その時は死ぬことができない, ると自白し、告発さえしたので、監禁されていたと言う。知事たちは彼が老齢であることを考, ランダ人の不利益になるようには少しも或いは全く干渉しない。, 後藤ミゲルは亡くなった市長後藤ショウザブロウ殿の兄弟, にはそれ, で、棄教した。しかし、そうは見えるが、心の中では〔信仰は〕不変であった。そして、長崎, 教皇のもとにかなりの間住んでおり、教皇の侍従であった。その後、何度もキリスト教徒であ, で、彼は愚かでつまらない人物であり、オ, がなお二人残っている。一人は、ポルトガル生まれのポルトガル人でジュア, はこの地域のイエズス会士等の長であって、周知のように外見上、彼の心〔の醜さ〕故にカラ, スがきっとそうであるように大変醜く、かつ黒かったし、〔今も〕そのままである。もう一人, トマスその〔棄教宣教師の〕中に一人の日本人がいた。〔彼は〕トマ, という名であり、かつて, という名で、かつてイタリアのローマで, ン, 司祭として日本に戻った。棄教後、長崎奉行のために働いた。彼, ○後藤ミゲル了順。後藤家の出で、彼の父は長崎町年寄の, ○棄教宣, の兄弟に後藤ショウザブロウという人物がいたかどうかは未詳、, 後藤宗印であったと考えられる。彼はマニラに行き、教区, 教師, その後は長崎奉行の手先としてキリスト教徒の摘発に携わった, 聖職者として戻って来た。一六一九年長崎で逮捕され、棄教した。, ○沢野忠庵、すなわち元イエズス会日本管区長クリストヴァン・フェレイラ(一五, 七一|一六四九)。本書訳文編之六、一二三頁、及び同訳文編之七、三一頁参看。, )荒木トマス了伯, ローマに派遣され、, ローマに派遣され、一六一五年に日本に, 沢野忠庵こ, ヴァン・フ, とクリスト, エレイラ, 一六四六年十一月長崎にて, 二七
割注
- 司祭として日本に戻った。棄教後、長崎奉行のために働いた。彼
- ○後藤ミゲル了順。後藤家の出で、彼の父は長崎町年寄の
- ○棄教宣
- の兄弟に後藤ショウザブロウという人物がいたかどうかは未詳、
- 後藤宗印であったと考えられる。彼はマニラに行き、教区
- 教師
- その後は長崎奉行の手先としてキリスト教徒の摘発に携わった
- 聖職者として戻って来た。一六一九年長崎で逮捕され、棄教した。
- ○沢野忠庵、すなわち元イエズス会日本管区長クリストヴァン・フェレイラ(一五
- 七一|一六四九)。本書訳文編之六、一二三頁、及び同訳文編之七、三一頁参看。
- )荒木トマス了伯
- ローマに派遣され、
- ローマに派遣され、一六一五年に日本に
頭注
- 沢野忠庵こ
- ヴァン・フ
- とクリスト
- エレイラ
柱
- 一六四六年十一月長崎にて
ノンブル
- 二七
注記 (36)
- 1432,575,55,2295慮して、行為がそうであるというよりも思慮の不足〔によるもの〕だと考え、さらなる猜疑の
- 1327,575,56,2301目を向けずに彼をそのままにしておいたが、しかしそうしている間に病気になり、息を引き取
- 1221,575,60,2297り死亡した。以前にも、優に一昼夜以上も足で吊り下げられて、その時は死ぬことができない
- 1533,573,55,2305ると自白し、告発さえしたので、監禁されていたと言う。知事たちは彼が老齢であることを考
- 397,580,54,1550ランダ人の不利益になるようには少しも或いは全く干渉しない。
- 601,316,55,1428後藤ミゲルは亡くなった市長後藤ショウザブロウ殿の兄弟
- 1015,581,51,214にはそれ
- 1116,576,59,2306で、棄教した。しかし、そうは見えるが、心の中では〔信仰は〕不変であった。そして、長崎
- 1634,575,56,2303教皇のもとにかなりの間住んでおり、教皇の侍従であった。その後、何度もキリスト教徒であ
- 502,1842,53,1031で、彼は愚かでつまらない人物であり、オ
- 1015,1005,55,1871がなお二人残っている。一人は、ポルトガル生まれのポルトガル人でジュア
- 806,577,57,2305はこの地域のイエズス会士等の長であって、周知のように外見上、彼の心〔の醜さ〕故にカラ
- 704,576,56,2304スがきっとそうであるように大変醜く、かつ黒かったし、〔今も〕そのままである。もう一人
- 1838,394,58,1698トマスその〔棄教宣教師の〕中に一人の日本人がいた。〔彼は〕トマ
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