『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 25 訳10 1646年09月-1647年09月 p.27

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慮して、行為がそうであるというよりも思慮の不足〔によるもの〕だと考え、さらなる猜疑の, 目を向けずに彼をそのままにしておいたが、しかしそうしている間に病気になり、息を引き取, り死亡した。以前にも、優に一昼夜以上も足で吊り下げられて、その時は死ぬことができない, ると自白し、告発さえしたので、監禁されていたと言う。知事たちは彼が老齢であることを考, ランダ人の不利益になるようには少しも或いは全く干渉しない。, 後藤ミゲルは亡くなった市長後藤ショウザブロウ殿の兄弟, にはそれ, で、棄教した。しかし、そうは見えるが、心の中では〔信仰は〕不変であった。そして、長崎, 教皇のもとにかなりの間住んでおり、教皇の侍従であった。その後、何度もキリスト教徒であ, で、彼は愚かでつまらない人物であり、オ, がなお二人残っている。一人は、ポルトガル生まれのポルトガル人でジュア, はこの地域のイエズス会士等の長であって、周知のように外見上、彼の心〔の醜さ〕故にカラ, スがきっとそうであるように大変醜く、かつ黒かったし、〔今も〕そのままである。もう一人, トマスその〔棄教宣教師の〕中に一人の日本人がいた。〔彼は〕トマ, という名であり、かつて, という名で、かつてイタリアのローマで, ン, 司祭として日本に戻った。棄教後、長崎奉行のために働いた。彼, ○後藤ミゲル了順。後藤家の出で、彼の父は長崎町年寄の, ○棄教宣, の兄弟に後藤ショウザブロウという人物がいたかどうかは未詳、, 後藤宗印であったと考えられる。彼はマニラに行き、教区, 教師, その後は長崎奉行の手先としてキリスト教徒の摘発に携わった, 聖職者として戻って来た。一六一九年長崎で逮捕され、棄教した。, ○沢野忠庵、すなわち元イエズス会日本管区長クリストヴァン・フェレイラ(一五, 七一|一六四九)。本書訳文編之六、一二三頁、及び同訳文編之七、三一頁参看。, )荒木トマス了伯, ローマに派遣され、, ローマに派遣され、一六一五年に日本に, 沢野忠庵こ, ヴァン・フ, とクリスト, エレイラ, 一六四六年十一月長崎にて, 二七

割注

  • 司祭として日本に戻った。棄教後、長崎奉行のために働いた。彼
  • ○後藤ミゲル了順。後藤家の出で、彼の父は長崎町年寄の
  • ○棄教宣
  • の兄弟に後藤ショウザブロウという人物がいたかどうかは未詳、
  • 後藤宗印であったと考えられる。彼はマニラに行き、教区
  • 教師
  • その後は長崎奉行の手先としてキリスト教徒の摘発に携わった
  • 聖職者として戻って来た。一六一九年長崎で逮捕され、棄教した。
  • ○沢野忠庵、すなわち元イエズス会日本管区長クリストヴァン・フェレイラ(一五
  • 七一|一六四九)。本書訳文編之六、一二三頁、及び同訳文編之七、三一頁参看。
  • )荒木トマス了伯
  • ローマに派遣され、
  • ローマに派遣され、一六一五年に日本に

頭注

  • 沢野忠庵こ
  • ヴァン・フ
  • とクリスト
  • エレイラ

  • 一六四六年十一月長崎にて

ノンブル

  • 二七

注記 (36)

  • 1432,575,55,2295慮して、行為がそうであるというよりも思慮の不足〔によるもの〕だと考え、さらなる猜疑の
  • 1327,575,56,2301目を向けずに彼をそのままにしておいたが、しかしそうしている間に病気になり、息を引き取
  • 1221,575,60,2297り死亡した。以前にも、優に一昼夜以上も足で吊り下げられて、その時は死ぬことができない
  • 1533,573,55,2305ると自白し、告発さえしたので、監禁されていたと言う。知事たちは彼が老齢であることを考
  • 397,580,54,1550ランダ人の不利益になるようには少しも或いは全く干渉しない。
  • 601,316,55,1428後藤ミゲルは亡くなった市長後藤ショウザブロウ殿の兄弟
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  • 1634,575,56,2303教皇のもとにかなりの間住んでおり、教皇の侍従であった。その後、何度もキリスト教徒であ
  • 502,1842,53,1031で、彼は愚かでつまらない人物であり、オ
  • 1015,1005,55,1871がなお二人残っている。一人は、ポルトガル生まれのポルトガル人でジュア
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