『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 25 訳10 1646年09月-1647年09月 p.53

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である。何故なら私はそれを全く当てにしていたので、そうすれば会社にとって大きな奉仕と, を揚げて、満ち潮とともに前述の島々の間を、風は北寄りでかなり強く吹き続け〔たので〕、, るかわからないので、通詞伝兵衛を直ちに上陸させ、平戸の領士, 第一に閣下に挨拶するため、そして彼の主人の負債の支払い〔督促〕のために派遣した。今回, の我々の参府旅行に際し、できるならば幾ばくかの金銭を宿泊費のために援助して欲しいから, 一族、さらに友人たち、彼等は数隻のバルク船で、我々の出発に際して旅の前途を祝するしる, 漕航し、夕刻前には平戸の湾に投錨した。そこで、我々の同地への滞在がどれだけの期間にな, の執政官のもとへ、, したが、島々の外側を周航し、福田湾の中で凪になったので少し留まり、また出発した。この, 〔同月〕四日朝、九十九島の南の端に潮流の変化のため正午まで留まり、〔正午に〕再び錨, で、〔彼等と〕湾外で別れるために、この国のやり方の飲酒と、然るべき祝儀で彼等を送り返, 日の夜中、漕走と帆走により、瀬戸を過ぎ、火曜日まで帆を揚げ続け, 二テパウロプアン・フリースペルである。島の町長、通詞たち、そして何人かの彼等の, 〓しの贈物の入れ物や果物や日本の重箱などを持って、見送りに来た。風向きが変わり始めたの, レ用人である、すなわち、私とともに、首席の商務助手ヤコブ・レセウテル, 上級外科医マテイス・クラウセン、そしてピ, 続け」試訳, ○アムステルダム生まれ、, 六五〇年には下級商務, で長崎に勤務、一六五五年にタイオワンで商務員に昇進。, 員としてバタフィアにおり、一六五二年にはトンキンついヽ, 守鎮信, ○「帆を揚げヽ, ○松浦肥前, アン・フリ, クラウセン, (pieter paulo yan griesper), パウロ・フ, ピーテル, ースペル, マティス, セウテル, で長崎に勤務、, (opperchirurgijn mathijs crousen), 負債催促の, ため通詞を, 派遣, 九十九島, 平戸, 福田湾, 瀬戸, 見送り, 一六四六年十二月バルク船にて, 五三

割注

  • 続け」試訳
  • ○アムステルダム生まれ、
  • 六五〇年には下級商務
  • で長崎に勤務、一六五五年にタイオワンで商務員に昇進。
  • 員としてバタフィアにおり、一六五二年にはトンキンついヽ
  • 守鎮信
  • ○「帆を揚げヽ
  • ○松浦肥前
  • アン・フリ
  • クラウセン
  • (pieter paulo yan griesper)
  • パウロ・フ
  • ピーテル
  • ースペル
  • マティス
  • セウテル
  • で長崎に勤務、
  • (opperchirurgijn mathijs crousen)

頭注

  • 負債催促の
  • ため通詞を
  • 派遣
  • 九十九島
  • 平戸
  • 福田湾
  • 瀬戸
  • 見送り

  • 一六四六年十二月バルク船にて

ノンブル

  • 五三

注記 (44)

  • 400,613,67,2300である。何故なら私はそれを全く当てにしていたので、そうすれば会社にとって大きな奉仕と
  • 916,611,65,2260を揚げて、満ち潮とともに前述の島々の間を、風は北寄りでかなり強く吹き続け〔たので〕、
  • 711,612,60,1578るかわからないので、通詞伝兵衛を直ちに上陸させ、平戸の領士
  • 608,608,64,2302第一に閣下に挨拶するため、そして彼の主人の負債の支払い〔督促〕のために派遣した。今回
  • 505,624,65,2290の我々の参府旅行に際し、できるならば幾ばくかの金銭を宿泊費のために援助して欲しいから
  • 1533,628,65,2277一族、さらに友人たち、彼等は数隻のバルク船で、我々の出発に際して旅の前途を祝するしる
  • 812,601,67,2307漕航し、夕刻前には平戸の湾に投錨した。そこで、我々の同地への滞在がどれだけの期間にな
  • 723,2422,54,446の執政官のもとへ、
  • 1222,600,65,2299したが、島々の外側を周航し、福田湾の中で凪になったので少し留まり、また出発した。この
  • 1017,669,67,2240〔同月〕四日朝、九十九島の南の端に潮流の変化のため正午まで留まり、〔正午に〕再び錨
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  • 1769,602,47,1133員としてバタフィアにおり、一六五二年にはトンキンついヽ
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