Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
〔問〕昨年長崎に来たポルトガルの大使は、彼の言によれば、三年程以前に、バタフィアに, て行き、通詞の行き来によって、この以下に述べること〔についての質問〕がなされた。, これに対して〔以下のように〕回答した。, 前述の大使はバタフィアへ来てはおらず、従って、彼には船員が貸されてはいない。しかし、, された、とのことだが、どうか。, を病気で失い、残された者たちは船を操縦する力がなく、十三箇月も海をさまよったあげく、, 救いようのない状態でバンタム辺りにたどり着き、そこから、〔オランダ人が〕彼等と再び敵, いて、一人の操舵手といくらかの船員を、彼の当地への旅を遂行するのを援助するために貸与, バタフィアへ連行され、彼の品物は荷卸しされ接収された。その少し後、再びゴアでの停戦が, なり、彼の品物は返却され、それを載せて出発することを許されたが、海上での経験を積んだ, 〓対するに至ったことを知らずに、一通の手紙で総督に援助を求めた。我々の船の一隻によって, というある者が、リ, スボンを出発し、二隻の船でマカオを目指していたが、嵐によって僚船とはぐれ、多くの船員, 前述の時期の頃、アントニオ・フィアリヨ, アント二オ, を受けた。その後の航海中或いはゴアに到着後彼は死亡し、日本へ来ることはなかった, 〓アント二オフイアリヨ・フエレイラantonio fialho ferreire, れた。四箇月の抑溜の後バタフイアからマカオへ再出発した際、オランダ側から船員の援助, -一六四六?)。ポルトガル船の船長としてマカオを拠点に活, 動。〓六四三年日本貿易停止後のマカオの窮状を訴えるため帰国し、翌年、船団の指揮官としてサント・アンドレ号, で大使シケイラ・デ・ソウザとともにリスボンからマカオへ向かったが、悪天のためパタフィアへ入港を余儀なく, 舵手等貸与, 葡船への操, の真偽, その内容, 来着の葡大, ヨの船に貸, 与の事情, 使には貸与, の事実なし, フィアリ, アント二オ, 一六四七年十二月江戸にて, 一〇
割注
- を受けた。その後の航海中或いはゴアに到着後彼は死亡し、日本へ来ることはなかった
- 〓アント二オフイアリヨ・フエレイラantonio fialho ferreire
- れた。四箇月の抑溜の後バタフイアからマカオへ再出発した際、オランダ側から船員の援助
- -一六四六?)。ポルトガル船の船長としてマカオを拠点に活
- 動。〓六四三年日本貿易停止後のマカオの窮状を訴えるため帰国し、翌年、船団の指揮官としてサント・アンドレ号
- で大使シケイラ・デ・ソウザとともにリスボンからマカオへ向かったが、悪天のためパタフィアへ入港を余儀なく
頭注
- 舵手等貸与
- 葡船への操
- の真偽
- その内容
- 来着の葡大
- ヨの船に貸
- 与の事情
- 使には貸与
- の事実なし
- フィアリ
- アント二オ
柱
- 一六四七年十二月江戸にて
ノンブル
- 一〇
注記 (34)
- 1244,470,49,1703〔問〕昨年長崎に来たポルトガルの大使は、彼の言によれば、三年程以前に、バタフィアに
- 1322,426,47,1644て行き、通詞の行き来によって、この以下に述べること〔についての質問〕がなされた。
- 1020,468,42,762これに対して〔以下のように〕回答した。
- 937,460,47,1726前述の大使はバタフィアへ来てはおらず、従って、彼には船員が貸されてはいない。しかし、
- 1100,425,39,599された、とのことだが、どうか。
- 553,422,48,1721を病気で失い、残された者たちは船を操縦する力がなく、十三箇月も海をさまよったあげく、
- 473,417,52,1748救いようのない状態でバンタム辺りにたどり着き、そこから、〔オランダ人が〕彼等と再び敵
- 1166,430,51,1743いて、一人の操舵手といくらかの船員を、彼の当地への旅を遂行するのを援助するために貸与
- 319,424,49,1743バタフィアへ連行され、彼の品物は荷卸しされ接収された。その少し後、再びゴアでの停戦が
- 242,421,50,1741なり、彼の品物は返却され、それを載せて出発することを許されたが、海上での経験を積んだ
- 398,384,56,1780〓対するに至ったことを知らずに、一通の手紙で総督に援助を求めた。我々の船の一隻によって
- 706,1792,39,373というある者が、リ
- 626,425,51,1743スボンを出発し、二隻の船でマカオを目指していたが、嵐によって僚船とはぐれ、多くの船員
- 858,423,58,811前述の時期の頃、アントニオ・フィアリヨ
- 727,225,27,158アント二オ
- 695,422,38,1299を受けた。その後の航海中或いはゴアに到着後彼は死亡し、日本へ来ることはなかった
- 878,1224,38,941〓アント二オフイアリヨ・フエレイラantonio fialho ferreire
- 727,421,40,1364れた。四箇月の抑溜の後バタフイアからマカオへ再出発した際、オランダ側から船員の援助
- 845,1255,39,891-一六四六?)。ポルトガル船の船長としてマカオを拠点に活
- 809,423,39,1726動。〓六四三年日本貿易停止後のマカオの窮状を訴えるため帰国し、翌年、船団の指揮官としてサント・アンドレ号
- 774,423,42,1719で大使シケイラ・デ・ソウザとともにリスボンからマカオへ向かったが、悪天のためパタフィアへ入港を余儀なく
- 1228,224,31,163舵手等貸与
- 1263,223,32,163葡船への操
- 1193,226,30,94の真偽
- 1340,225,30,127その内容
- 956,224,30,160来着の葡大
- 655,225,32,159ヨの船に貸
- 619,220,31,133与の事情
- 921,221,30,163使には貸与
- 886,224,31,159の事実なし
- 694,245,24,138フィアリ
- 727,225,27,158アント二オ
- 1403,604,32,419一六四七年十二月江戸にて
- 1395,1955,30,51一〇
類似アイテム

『日本関係海外史料』 イギリス商館長日記 5 訳文編之下 元和3年6月~8年2月 p.355

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 18 訳7 1642年10月-1643年09月 p.61

『日本関係海外史料』 イエズス会日本書翰集 7 訳文編之2(下)天文23年12月~弘冶1年12月 p.129

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 27 訳11 1647年10月-1649年10月 p.127

『日本関係海外史料』 イエズス会日本書翰集 8 訳文編之3 弘冶1年11月~永禄2年11月 p.312

『日本関係海外史料』 イギリス商館長日記 4 訳文編之上 元和1年5月~3年6月 p.208

『日本関係海外史料』 イエズス会日本書翰集 6 訳文編之2(上) 天文21年12月~23年11月 p.171

『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 8 訳3上1637年08月-1638年06月 p.157