『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 27 訳11 1647年10月-1649年10月 p.10

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〔問〕昨年長崎に来たポルトガルの大使は、彼の言によれば、三年程以前に、バタフィアに, て行き、通詞の行き来によって、この以下に述べること〔についての質問〕がなされた。, これに対して〔以下のように〕回答した。, 前述の大使はバタフィアへ来てはおらず、従って、彼には船員が貸されてはいない。しかし、, された、とのことだが、どうか。, を病気で失い、残された者たちは船を操縦する力がなく、十三箇月も海をさまよったあげく、, 救いようのない状態でバンタム辺りにたどり着き、そこから、〔オランダ人が〕彼等と再び敵, いて、一人の操舵手といくらかの船員を、彼の当地への旅を遂行するのを援助するために貸与, バタフィアへ連行され、彼の品物は荷卸しされ接収された。その少し後、再びゴアでの停戦が, なり、彼の品物は返却され、それを載せて出発することを許されたが、海上での経験を積んだ, 〓対するに至ったことを知らずに、一通の手紙で総督に援助を求めた。我々の船の一隻によって, というある者が、リ, スボンを出発し、二隻の船でマカオを目指していたが、嵐によって僚船とはぐれ、多くの船員, 前述の時期の頃、アントニオ・フィアリヨ, アント二オ, を受けた。その後の航海中或いはゴアに到着後彼は死亡し、日本へ来ることはなかった, 〓アント二オフイアリヨ・フエレイラantonio fialho ferreire, れた。四箇月の抑溜の後バタフイアからマカオへ再出発した際、オランダ側から船員の援助, -一六四六?)。ポルトガル船の船長としてマカオを拠点に活, 動。〓六四三年日本貿易停止後のマカオの窮状を訴えるため帰国し、翌年、船団の指揮官としてサント・アンドレ号, で大使シケイラ・デ・ソウザとともにリスボンからマカオへ向かったが、悪天のためパタフィアへ入港を余儀なく, 舵手等貸与, 葡船への操, の真偽, その内容, 来着の葡大, ヨの船に貸, 与の事情, 使には貸与, の事実なし, フィアリ, アント二オ, 一六四七年十二月江戸にて, 一〇

割注

  • を受けた。その後の航海中或いはゴアに到着後彼は死亡し、日本へ来ることはなかった
  • 〓アント二オフイアリヨ・フエレイラantonio fialho ferreire
  • れた。四箇月の抑溜の後バタフイアからマカオへ再出発した際、オランダ側から船員の援助
  • -一六四六?)。ポルトガル船の船長としてマカオを拠点に活
  • 動。〓六四三年日本貿易停止後のマカオの窮状を訴えるため帰国し、翌年、船団の指揮官としてサント・アンドレ号
  • で大使シケイラ・デ・ソウザとともにリスボンからマカオへ向かったが、悪天のためパタフィアへ入港を余儀なく

頭注

  • 舵手等貸与
  • 葡船への操
  • の真偽
  • その内容
  • 来着の葡大
  • ヨの船に貸
  • 与の事情
  • 使には貸与
  • の事実なし
  • フィアリ
  • アント二オ

  • 一六四七年十二月江戸にて

ノンブル

  • 一〇

注記 (34)

  • 1244,470,49,1703〔問〕昨年長崎に来たポルトガルの大使は、彼の言によれば、三年程以前に、バタフィアに
  • 1322,426,47,1644て行き、通詞の行き来によって、この以下に述べること〔についての質問〕がなされた。
  • 1020,468,42,762これに対して〔以下のように〕回答した。
  • 937,460,47,1726前述の大使はバタフィアへ来てはおらず、従って、彼には船員が貸されてはいない。しかし、
  • 1100,425,39,599された、とのことだが、どうか。
  • 553,422,48,1721を病気で失い、残された者たちは船を操縦する力がなく、十三箇月も海をさまよったあげく、
  • 473,417,52,1748救いようのない状態でバンタム辺りにたどり着き、そこから、〔オランダ人が〕彼等と再び敵
  • 1166,430,51,1743いて、一人の操舵手といくらかの船員を、彼の当地への旅を遂行するのを援助するために貸与
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  • 242,421,50,1741なり、彼の品物は返却され、それを載せて出発することを許されたが、海上での経験を積んだ
  • 398,384,56,1780〓対するに至ったことを知らずに、一通の手紙で総督に援助を求めた。我々の船の一隻によって
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  • 626,425,51,1743スボンを出発し、二隻の船でマカオを目指していたが、嵐によって僚船とはぐれ、多くの船員
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  • 809,423,39,1726動。〓六四三年日本貿易停止後のマカオの窮状を訴えるため帰国し、翌年、船団の指揮官としてサント・アンドレ号
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