『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 27 訳11 1647年10月-1649年10月 p.233

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船が、澄んだ風を受けて湾に入港して来た。同船は、その後一時間足らずで商館の前面に投錨, 願望をもって大使殿を待ち続けている。午前十時頃、上に旗を掲げたスヒップ船或いはヤハト, で、すぐにブルックホルスト閣下やスヒレマンスとともに船上へ赴き、言われていたように、, と通常の〔命令の〕告知をした。, また訓令が何度も言及したように、前述のフリシウスが〔大使〕逝去により(それは予言され, ッテ・ファルク号まで船で行き、日曜日ではあるが、明日荷卸しを開始するために、なお点呼, 同月十九日朝、澄んだ南西の風と美しい空。我々はウィッテ・ファルク号の荷卸しを始め、, ていたようであった)閣下の地位を継承し、また計画, した。その少し前にデ・フロート氏が我々に言ったところでは、ヤハト船ロベイン号であり、, が同船で到着した。私は、〔前もって〕ボンゴイに頼んであったの, 午後、ウィッテ・パールト号の荷卸しが終わり、同船から武器弾薬を取り出し、舵をはずし、, 使節として派遣されたペトルス・ブロックホヴィウス, 彼の次席として派遣された商務員アンドリース・フリシウス, 昇降口を封印してボンゴイと上陸した。しかし, されていた使節としての任務, 「その後すぐにまた他の者たちとウイ, 、という名前の閣下自身は、八月十五日}, に逝去し、, ○バタフィア法務委員会の一員。この遣, ○ブロツクホヴィウスは、ラテン語学校の校長を, された。一六六〇年帰国船団の司, 務めるべく一六四九年七月末にバタフィアに着い, た。そして、直ちに大使として同地を後に, ○d本「十五, 日」を欠く, 使の後一六五〇年にはトンキンにも派遣, し、航海の途上、八月十五日に死亡した, 令官としてバタフィアを離れた。, d本に従う, ○「しかし, ○「計画」, 本による, 荷卸開始, 位を継承, が大使の地, ロベイン号, フリシウス, ファルク号, 荷卸完了, 入港, ウス到着, バールト号, ス洋上で死, 使節ブロツ, クホヴィウ, 次席フリシ, 去, ウィソテ, 一六四九年九月長崎にて, 二三四

割注

  • ○バタフィア法務委員会の一員。この遣
  • ○ブロツクホヴィウスは、ラテン語学校の校長を
  • された。一六六〇年帰国船団の司
  • 務めるべく一六四九年七月末にバタフィアに着い
  • た。そして、直ちに大使として同地を後に
  • ○d本「十五
  • 日」を欠く
  • 使の後一六五〇年にはトンキンにも派遣
  • し、航海の途上、八月十五日に死亡した
  • 令官としてバタフィアを離れた。
  • d本に従う
  • ○「しかし
  • ○「計画」
  • 本による

頭注

  • 荷卸開始
  • 位を継承
  • が大使の地
  • ロベイン号
  • フリシウス
  • ファルク号
  • 荷卸完了
  • 入港
  • ウス到着
  • バールト号
  • ス洋上で死
  • 使節ブロツ
  • クホヴィウ
  • 次席フリシ
  • ウィソテ

  • 一六四九年九月長崎にて

ノンブル

  • 二三四

注記 (50)

  • 834,410,51,1758船が、澄んだ風を受けて湾に入港して来た。同船は、その後一時間足らずで商館の前面に投錨
  • 913,427,49,1740願望をもって大使殿を待ち続けている。午前十時頃、上に旗を掲げたスヒップ船或いはヤハト
  • 375,421,48,1718で、すぐにブルックホルスト閣下やスヒレマンスとともに船上へ赴き、言われていたように、
  • 1075,424,40,597と通常の〔命令の〕告知をした。
  • 297,422,49,1741また訓令が何度も言及したように、前述のフリシウスが〔大使〕逝去により(それは予言され
  • 1142,433,48,1735ッテ・ファルク号まで船で行き、日曜日ではあるが、明日荷卸しを開始するために、なお点呼
  • 988,450,50,1730同月十九日朝、澄んだ南西の風と美しい空。我々はウィッテ・ファルク号の荷卸しを始め、
  • 226,427,42,1003ていたようであった)閣下の地位を継承し、また計画
  • 760,425,47,1721した。その少し前にデ・フロート氏が我々に言ったところでは、ヤハト船ロベイン号であり、
  • 451,916,45,1244が同船で到着した。私は、〔前もって〕ボンゴイに頼んであったの
  • 1295,456,49,1732午後、ウィッテ・パールト号の荷卸しが終わり、同船から武器弾薬を取り出し、舵をはずし、
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  • 219,1623,42,540されていた使節としての任務
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  • 514,1572,37,593使の後一六五〇年にはトンキンにも派遣
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