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船が、澄んだ風を受けて湾に入港して来た。同船は、その後一時間足らずで商館の前面に投錨, 願望をもって大使殿を待ち続けている。午前十時頃、上に旗を掲げたスヒップ船或いはヤハト, で、すぐにブルックホルスト閣下やスヒレマンスとともに船上へ赴き、言われていたように、, と通常の〔命令の〕告知をした。, また訓令が何度も言及したように、前述のフリシウスが〔大使〕逝去により(それは予言され, ッテ・ファルク号まで船で行き、日曜日ではあるが、明日荷卸しを開始するために、なお点呼, 同月十九日朝、澄んだ南西の風と美しい空。我々はウィッテ・ファルク号の荷卸しを始め、, ていたようであった)閣下の地位を継承し、また計画, した。その少し前にデ・フロート氏が我々に言ったところでは、ヤハト船ロベイン号であり、, が同船で到着した。私は、〔前もって〕ボンゴイに頼んであったの, 午後、ウィッテ・パールト号の荷卸しが終わり、同船から武器弾薬を取り出し、舵をはずし、, 使節として派遣されたペトルス・ブロックホヴィウス, 彼の次席として派遣された商務員アンドリース・フリシウス, 昇降口を封印してボンゴイと上陸した。しかし, されていた使節としての任務, 「その後すぐにまた他の者たちとウイ, 、という名前の閣下自身は、八月十五日}, に逝去し、, ○バタフィア法務委員会の一員。この遣, ○ブロツクホヴィウスは、ラテン語学校の校長を, された。一六六〇年帰国船団の司, 務めるべく一六四九年七月末にバタフィアに着い, た。そして、直ちに大使として同地を後に, ○d本「十五, 日」を欠く, 使の後一六五〇年にはトンキンにも派遣, し、航海の途上、八月十五日に死亡した, 令官としてバタフィアを離れた。, d本に従う, ○「しかし, ○「計画」, 本による, 荷卸開始, 位を継承, が大使の地, ロベイン号, フリシウス, ファルク号, 荷卸完了, 入港, ウス到着, バールト号, ス洋上で死, 使節ブロツ, クホヴィウ, 次席フリシ, 去, ウィソテ, 一六四九年九月長崎にて, 二三四
割注
- ○バタフィア法務委員会の一員。この遣
- ○ブロツクホヴィウスは、ラテン語学校の校長を
- された。一六六〇年帰国船団の司
- 務めるべく一六四九年七月末にバタフィアに着い
- た。そして、直ちに大使として同地を後に
- ○d本「十五
- 日」を欠く
- 使の後一六五〇年にはトンキンにも派遣
- し、航海の途上、八月十五日に死亡した
- 令官としてバタフィアを離れた。
- d本に従う
- ○「しかし
- ○「計画」
- 本による
頭注
- 荷卸開始
- 位を継承
- が大使の地
- ロベイン号
- フリシウス
- ファルク号
- 荷卸完了
- 入港
- ウス到着
- バールト号
- ス洋上で死
- 使節ブロツ
- クホヴィウ
- 次席フリシ
- 去
- ウィソテ
柱
- 一六四九年九月長崎にて
ノンブル
- 二三四
注記 (50)
- 834,410,51,1758船が、澄んだ風を受けて湾に入港して来た。同船は、その後一時間足らずで商館の前面に投錨
- 913,427,49,1740願望をもって大使殿を待ち続けている。午前十時頃、上に旗を掲げたスヒップ船或いはヤハト
- 375,421,48,1718で、すぐにブルックホルスト閣下やスヒレマンスとともに船上へ赴き、言われていたように、
- 1075,424,40,597と通常の〔命令の〕告知をした。
- 297,422,49,1741また訓令が何度も言及したように、前述のフリシウスが〔大使〕逝去により(それは予言され
- 1142,433,48,1735ッテ・ファルク号まで船で行き、日曜日ではあるが、明日荷卸しを開始するために、なお点呼
- 988,450,50,1730同月十九日朝、澄んだ南西の風と美しい空。我々はウィッテ・ファルク号の荷卸しを始め、
- 226,427,42,1003ていたようであった)閣下の地位を継承し、また計画
- 760,425,47,1721した。その少し前にデ・フロート氏が我々に言ったところでは、ヤハト船ロベイン号であり、
- 451,916,45,1244が同船で到着した。私は、〔前もって〕ボンゴイに頼んであったの
- 1295,456,49,1732午後、ウィッテ・パールト号の荷卸しが終わり、同船から武器弾薬を取り出し、舵をはずし、
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- 532,419,45,1151彼の次席として派遣された商務員アンドリース・フリシウス
- 1221,424,50,890昇降口を封印してボンゴイと上陸した。しかし
- 219,1623,42,540されていた使節としての任務
- 1220,1481,51,686「その後すぐにまた他の者たちとウイ
- 606,1047,45,759、という名前の閣下自身は、八月十五日}
- 605,2010,37,170に逝去し、
- 548,1576,35,589○バタフィア法務委員会の一員。この遣
- 702,1443,36,719○ブロツクホヴィウスは、ラテン語学校の校長を
- 480,421,32,500された。一六六〇年帰国船団の司
- 669,1438,36,720務めるべく一六四九年七月末にバタフィアに着い
- 632,425,34,625た。そして、直ちに大使として同地を後に
- 627,1802,31,190○d本「十五
- 594,1801,30,162日」を欠く
- 514,1572,37,593使の後一六五〇年にはトンキンにも派遣
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