『日本関係海外史料』 イギリス商館長日記 4 訳文編之上 元和1年5月~3年6月 p.541

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風がひどく吹いた。, と名乘るその地のトノすな, なり、若干の雨を伴なった。しかし殘りの日中と夜分は乾燥した陽氣となった。しかし夜通し, 十八日今朝は快晴で寒い天氣であったが、北の風が次第に強まって午後には烈しい強風と, は力ニンガワで宿の主人に〔ジン〕二一六〇文、宿の使用人たちに二〇○文を與えた。, オランダ人一行は私に、シャムから來航してシャシュマに著いた彼等のジャンク船は平戸へ, 向けて來る途中で貨物もろとも漂流し、乘組員だけが救われたと語った。彼等はさらにシャシ, ユマにいた、入〓の大型船もその地から長崎へ向かって行く途中で難破したと報じた。, わち王は日本の首席司令官すなわち皇帝であって、シャッ., の都市であって、現在のミアコもしくは江戸より四倍も大きく、また〓, 殿にはブラムポート産の更紗全幅物一反を與えた。我々, また我々の友人の一商人マテム, 戎々は今日力〓クラ〓飜と呼ぶ町で午餐を攝ったが、ここは昔(五〇○年前)は日本で最大, にはブラムポート産の更紗一幅物一反を、, 九日江戸邸に來てコックス等の世話に當った。, ギヤプテン・アダムズの義父主, の末裔であるダイレ日から王, 于巾二枚を與えた。さらにまた宿にはジン一, た我々の友人の一商人〓テ人〓双右衞殿にはブラムポート産の更紗全幅物一反を與えた。我, から王, 干ャプテン・アダムズの義父訪出のさいセビリヤ駐在のイギリス使節が本國に送った一六一四年十二月九日附, 六一七年七月六, ○記載を闕くが、, ○又右衞, ○菅沼貞風の説に名主馬込勘解由とするが根據は薄い。慶長遣歐使節のス, の書状にはアダムズのことを「日本で上流の婦人化結婚して大さき, な領主となったイギリス人』と記しているが、詳細は判らない, 門か。, 日で始まるコックス日記第二册の表紙の走り書きにはcamacora denok〓, rasoritomoとあるのでここには「頼朝」と書くつもりだったものと思われる。, ○釋, ダムズの義父詠間のさ〓セビリヤ駐在のイギリス使節が本國に送った一六一四年十二月九日附, ○三浦按針は妻子を逸見に置いたが、夫人は十月, 按針の義父, 某への贈物, 商人又右衞, 九日江戸邸に來てコックス等の世話に當った。, 迦。, 頼朝内裏の, 日本最大の, 鎌倉, 五百年前は, 薩摩に在り, 都市, 王權を奪ふ, に漂著す, 船も難破す, しスペイン, の支拂, ンク船薩摩, 暹羅より來, の末裔, れる蘭ジャ, 内裏は釋迦, 神奈川宿へ, 門への贈物, 三浦按針夫, 人への贈物, 商人又右衞, 某への贈物, 按針の義父, 一六一六年十月, 五四一

割注

  • 六一七年七月六
  • ○記載を闕くが、
  • ○又右衞
  • ○菅沼貞風の説に名主馬込勘解由とするが根據は薄い。慶長遣歐使節のス
  • の書状にはアダムズのことを「日本で上流の婦人化結婚して大さき
  • な領主となったイギリス人』と記しているが、詳細は判らない
  • 門か。
  • 日で始まるコックス日記第二册の表紙の走り書きにはcamacora denok〓
  • rasoritomoとあるのでここには「頼朝」と書くつもりだったものと思われる。
  • ○釋
  • ダムズの義父詠間のさ〓セビリヤ駐在のイギリス使節が本國に送った一六一四年十二月九日附
  • ○三浦按針は妻子を逸見に置いたが、夫人は十月
  • 按針の義父
  • 某への贈物
  • 商人又右衞
  • 九日江戸邸に來てコックス等の世話に當った。
  • 迦。

頭注

  • 頼朝内裏の
  • 日本最大の
  • 鎌倉
  • 五百年前は
  • 薩摩に在り
  • 都市
  • 王權を奪ふ
  • に漂著す
  • 船も難破す
  • しスペイン
  • の支拂
  • ンク船薩摩
  • 暹羅より來
  • の末裔
  • れる蘭ジャ
  • 内裏は釋迦
  • 神奈川宿へ
  • 門への贈物
  • 三浦按針夫
  • 人への贈物
  • 商人又右衞
  • 某への贈物
  • 按針の義父

  • 一六一六年十月

ノンブル

  • 五四一

注記 (63)

  • 709,619,57,452風がひどく吹いた。
  • 421,2241,57,657と名乘るその地のトノすな
  • 821,616,81,2274なり、若干の雨を伴なった。しかし殘りの日中と夜分は乾燥した陽氣となった。しかし夜通し
  • 923,659,81,2235十八日今朝は快晴で寒い天氣であったが、北の風が次第に強まって午後には烈しい強風と
  • 1349,605,78,2090は力ニンガワで宿の主人に〔ジン〕二一六〇文、宿の使用人たちに二〇○文を與えた。
  • 1242,657,83,2218オランダ人一行は私に、シャムから來航してシャシュマに著いた彼等のジャンク船は平戸へ
  • 1139,605,80,2280向けて來る途中で貨物もろとも漂流し、乘組員だけが救われたと語った。彼等はさらにシャシ
  • 1032,625,80,2139ユマにいた、入〓の大型船もその地から長崎へ向かって行く途中で難破したと報じた。
  • 294,623,71,1416わち王は日本の首席司令官すなわち皇帝であって、シャッ.
  • 501,630,74,1943の都市であって、現在のミアコもしくは江戸より四倍も大きく、また〓
  • 1470,1544,70,1328殿にはブラムポート産の更紗全幅物一反を與えた。我々
  • 1456,608,61,750また我々の友人の一商人マテム
  • 605,686,85,2216戎々は今日力〓クラ〓飜と呼ぶ町で午餐を攝ったが、ここは昔(五〇○年前)は日本で最大
  • 1580,1856,66,1020にはブラムポート産の更紗一幅物一反を、
  • 1752,606,47,871九日江戸邸に來てコックス等の世話に當った。
  • 1664,613,61,718ギヤプテン・アダムズの義父主
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  • 1782,1569,67,1045于巾二枚を與えた。さらにまた宿にはジン一
  • 1456,665,83,2201た我々の友人の一商人〓テ人〓双右衞殿にはブラムポート産の更紗全幅物一反を與えた。我
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  • 1706,1308,58,1565○菅沼貞風の説に名主馬込勘解由とするが根據は薄い。慶長遣歐使節のス
  • 1587,608,57,1246の書状にはアダムズのことを「日本で上流の婦人化結婚して大さき
  • 1541,604,60,1214な領主となったイギリス人』と記しているが、詳細は判らない
  • 1448,1365,35,92門か。
  • 422,628,61,1588日で始まるコックス日記第二册の表紙の走り書きにはcamacora denok〓
  • 383,622,59,1589rasoritomoとあるのでここには「頼朝」と書くつもりだったものと思われる。
  • 335,2083,47,74○釋
  • 1659,963,60,1914ダムズの義父詠間のさ〓セビリヤ駐在のイギリス使節が本國に送った一六一四年十二月九日附
  • 1792,606,52,943○三浦按針は妻子を逸見に置いたが、夫人は十月
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  • 1327,336,42,124の支拂
  • 1180,341,41,210ンク船薩摩
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