『日本関係海外史料』 イギリス商館長日記 4 訳文編之上 元和1年5月~3年6月 p.592

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リーグ進んだ。, 續いた。, こうして我々は今日は一三リーグ進んだ。, 三十日今朝はかなりの強風が吹き、風向きは北西であったが、しかし後には北に變り、そ, してその状態が終夜續いて烈しい強風となった。それで我々はカミナ・セアクの海峽を過ぎて, のち三リーグ來たところで投錨し、大變な嵐になったので、終夜そこの碇泊地にいた、等々。, 我々は夜明けに拔錨して、潮流に乘って勢よく船を漕ぎ進め、我々のそこを出發した場所か, 裝いの同じ數の〔小船の一行〕にも出逢った。こうして我々は今日とその後の夜間ともで三〇, の〔食糧〕を積んだ、同じような, 今朝は北の風があり、そしてこの状態が日中及びその後の夜間を通じて, の許へ赴くため、あとからやって來る由である。また、彼等のあとから、ボンゴの王〓〓, と呼ぶ村落までやって來た。そしてその後さらに二リーグ漕ぎ, ら五リーグ先のミア・ノツ, 一日, 一六一六年十二月, ○〓外註に「日, 曜日」とある。, の王として十二月二日の條に見え、參覲途上にあって下關まで來ている、, 川越中守忠興の豐前の小倉・中津三九萬九千石があるが、これは別にコケラ, に豐後守はいない。竹中氏ならば采女正重義である。豐後を當時の外國人の用いる汎稱と見ると、近隣の大大名に細, ○宮, ○新暦では十二月十一日より一六一七年一月十日までに當, も中川氏岡七萬石、石川氏日田六萬石、稻葉氏臼杵五萬石、竹中氏府内二萬石、他三氏の孰れか決め難い。以上七氏, 津, 、わが元和二年十一月三日に始まり十二月四日に及ぶ。, り, を過る, 後某氏の參, 上關の海峽, 覲の船群に, 遭ふ, 宮津, (160ウ), 一六一六年十二月, 五九二, (160ウ)

割注

  • ○〓外註に「日
  • 曜日」とある。
  • の王として十二月二日の條に見え、參覲途上にあって下關まで來ている、
  • 川越中守忠興の豐前の小倉・中津三九萬九千石があるが、これは別にコケラ
  • に豐後守はいない。竹中氏ならば采女正重義である。豐後を當時の外國人の用いる汎稱と見ると、近隣の大大名に細
  • ○宮
  • ○新暦では十二月十一日より一六一七年一月十日までに當
  • も中川氏岡七萬石、石川氏日田六萬石、稻葉氏臼杵五萬石、竹中氏府内二萬石、他三氏の孰れか決め難い。以上七氏
  • 、わが元和二年十一月三日に始まり十二月四日に及ぶ。

頭注

  • を過る
  • 後某氏の參
  • 上關の海峽
  • 覲の船群に
  • 遭ふ
  • 宮津

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  • (160ウ)

  • 一六一六年十二月

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  • 五九二
  • (160ウ)

注記 (36)

  • 1337,633,52,337リーグ進んだ。
  • 494,630,53,180續いた。
  • 917,638,55,986こうして我々は今日は一三リーグ進んだ。
  • 1231,680,56,2232三十日今朝はかなりの強風が吹き、風向きは北西であったが、しかし後には北に變り、そ
  • 1127,639,58,2267してその状態が終夜續いて烈しい強風となった。それで我々はカミナ・セアクの海峽を過ぎて
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