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ヤンク船スィー・アドヴェンチュア號は三日前にツシマに入港したが、その乘組員の多くが死, に就き、また我々の當地到著のことに就き、私は平戸に向け、ニールソン君とオスターウィツ, 定宿の女主人〔のもの〕であった。, 日前にファカタのある港に入港したが、同船はトンキンから來たものである由。これらのこと, こを離れた。キャプテン・アダムズは彼自身のものであるバルク船に乘って我々と同行し、ま, んでいた、との報せを得た。さらにまた、その大檣を失ったと我々が聞いたジャンク船は、五, の出の約二時間前まで投錨していたが、そのころ潮が差して來たため抜錨して我々は漕いでそ, た、他の三ないし四艘のバルク船もそのようにしたが、その内一艘は我々のビンガナ・トモの, 發射し、同じくオランダの帆船も五發、またオランダ商館からも八發を發射した。こうして今, さらに變って北東に向かい、嵐となった。そのため我々は、ラングウェイから一六リーグ先の, 靜穩となり、稻妻や雷鳴を伴なったが、やがて北の風となって多量の雨を伴なった。風向きは, 十時ごろ我々はミアコへ行くため平戸から出發した。そしてアドヴァイス號は七發の大砲を, 靜穩状態だったためそこに我々は日, の一港に入るのを餘儀なくされた。その地で我々は、我々のジ, に到り、, 「と呼ぶファ力タ, 〓二十七日今朝は靜穩な天氣であって、その後は風向きも變り易く、時折烈しく吹き、時折, 夜はラングウェイ, イマツ, ○〓外註には「ラングウャ, イ、一二リーグ」とある。, 護屋, ○肥前名, ○博, (imatds), 多。, 津, イマツ, 三浦按針の, 知り之を平, エンチュア, 船及び備後, 鞆ノ津の船, 號の消息を, ー・アドヴ, 入港しスィ, 戸に通報す, ひ出發す, 行京都へ向, 博多今津に, も同行す, 名護設屋, コックス, 禮砲, 一六一七年八月, 七五
割注
- ○〓外註には「ラングウャ
- イ、一二リーグ」とある。
- 護屋
- ○肥前名
- ○博
- (imatds)
- 多。
- 津
- イマツ
頭注
- 三浦按針の
- 知り之を平
- エンチュア
- 船及び備後
- 鞆ノ津の船
- 號の消息を
- ー・アドヴ
- 入港しスィ
- 戸に通報す
- ひ出發す
- 行京都へ向
- 博多今津に
- も同行す
- 名護設屋
- コックス
- 禮砲
柱
- 一六一七年八月
ノンブル
- 七五
注記 (46)
- 627,632,63,2273ヤンク船スィー・アドヴェンチュア號は三日前にツシマに入港したが、その乘組員の多くが死
- 313,634,62,2262に就き、また我々の當地到著のことに就き、私は平戸に向け、ニールソン君とオスターウィツ
- 1150,625,56,779定宿の女主人〔のもの〕であった。
- 419,629,61,2278日前にファカタのある港に入港したが、同船はトンキンから來たものである由。これらのこと
- 1361,626,63,2282こを離れた。キャプテン・アダムズは彼自身のものであるバルク船に乘って我々と同行し、ま
- 522,627,63,2281んでいた、との報せを得た。さらにまた、その大檣を失ったと我々が聞いたジャンク船は、五
- 1465,627,62,2276の出の約二時間前まで投錨していたが、そのころ潮が差して來たため抜錨して我々は漕いでそ
- 1256,624,63,2272た、他の三ないし四艘のバルク船もそのようにしたが、その内一艘は我々のビンガナ・トモの
- 1675,617,63,2281發射し、同じくオランダの帆船も五發、またオランダ商館からも八發を發射した。こうして今
- 836,629,62,2271さらに變って北東に向かい、嵐となった。そのため我々は、ラングウェイから一六リーグ先の
- 940,624,62,2283靜穩となり、稻妻や雷鳴を伴なったが、やがて北の風となって多量の雨を伴なった。風向きは
- 1781,665,64,2234十時ごろ我々はミアコへ行くため平戸から出發した。そしてアドヴァイス號は七發の大砲を
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