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及びその後の夜間に亘って快晴の天氣であった、等々。, ダ人たちに逢いに來ていたもので、彼が私に語ったところによれば、もし私がこの場へ來合わ, せなかったら、私のところへ訪ねて來るつもりでいたとのことである。彼は私をすこぶる鄭重, がいるの, を見出した。彼はオランダ人たちの使用人たちの内のひとりが以前彼に仕えていたためオラン, 欲しいと私のところへ押しかけて來たが、それを私は拒み切れなかった。それ故私はキャプテ, に遇して、もし我々が彼の領國に來るなら、我が國民なら誰にでも大きな友情を示すつもりだ, 二十一日(ショングワチ二十一日)今朝はなお快晴の天氣で、北東の風が吹いていた。終日, れて昨日演劇を見に來た他の武士たちと共同して、明日は別の日本の演劇に自分たちを招いて, 我々は演劇に行った。そして、私がオランダ人たちの宿舍のそばを通ったさい、私が立寄っ, ン・カムプスとオランダ人、オランダ人たちの定宿の主人、ジョン・ヨッセンの息子〓義、μ, =が行われたからである。さらにまたトラゼモン殿がキャプテン・カムプスにより招か, ら、今日は大祭の日で、總べての店は閉ざされてショングワチの祭りの終りの行事, 我々の定宿の主人のキャプテン・アダムズの子どもたちその他の人々用人とをこれに招いた。, ジェン, たところ、そこには勇敢な若者で、地代年。收五〇マンゴ力を有するフ。〓ゴ〓〓もしくは, とをこれに招いた。, 及び, なわち正月一, ○具足の祝す, の子忠廣は五十萬石の城主だからである。なお〓外註は単に「プィンゴの王と〓る。, 十日の鏡開, 使用人, 王〓肥後の方が正しい。肥前の鍋嶋信濃守勝茂は三十五萬石であるが、肥後の加藤肥後守, と連歌始, ○養ヽ, か。, 後。, ○肥, 子。, コックス之, 按針の家族, 物す, を諾し他に, 主催を慫慂, 歌舞伎を見, 歸途蘭人の, クスにも歌, をも招く, 祝あり, 衞門等コッ, 桃野太郎左, 舞伎見物の, 會見す, 宿舍に於て, 好意を懷く, 幕府に具足, 忠廣英人に, 元加藤家家, 加藤忠廣と, 勤務す, 臣蘭商館に, す, 一六二二年二月, 九四六
割注
- なわち正月一
- ○具足の祝す
- の子忠廣は五十萬石の城主だからである。なお〓外註は単に「プィンゴの王と〓る。
- 十日の鏡開
- 使用人
- 王〓肥後の方が正しい。肥前の鍋嶋信濃守勝茂は三十五萬石であるが、肥後の加藤肥後守
- と連歌始
- ○養ヽ
- か。
- 後。
- ○肥
- 子。
頭注
- コックス之
- 按針の家族
- 物す
- を諾し他に
- 主催を慫慂
- 歌舞伎を見
- 歸途蘭人の
- クスにも歌
- をも招く
- 祝あり
- 衞門等コッ
- 桃野太郎左
- 舞伎見物の
- 會見す
- 宿舍に於て
- 好意を懷く
- 幕府に具足
- 忠廣英人に
- 元加藤家家
- 加藤忠廣と
- 勤務す
- 臣蘭商館に
- す
柱
- 一六二二年二月
ノンブル
- 九四六
注記 (55)
- 1028,626,61,1315及びその後の夜間に亘って快晴の天氣であった、等々。
- 494,614,71,2284ダ人たちに逢いに來ていたもので、彼が私に語ったところによれば、もし私がこの場へ來合わ
- 392,624,67,2269せなかったら、私のところへ訪ねて來るつもりでいたとのことである。彼は私をすこぶる鄭重
- 707,2692,49,204がいるの
- 602,609,68,2286を見出した。彼はオランダ人たちの使用人たちの内のひとりが以前彼に仕えていたためオラン
- 1446,625,68,2287欲しいと私のところへ押しかけて來たが、それを私は拒み切れなかった。それ故私はキャプテ
- 288,627,66,2267に遇して、もし我々が彼の領國に來るなら、我が國民なら誰にでも大きな友情を示すつもりだ
- 1130,684,70,2221二十一日(ショングワチ二十一日)今朝はなお快晴の天氣で、北東の風が吹いていた。終日
- 1549,626,70,2285れて昨日演劇を見に來た他の武士たちと共同して、明日は別の日本の演劇に自分たちを招いて
- 916,673,68,2217我々は演劇に行った。そして、私がオランダ人たちの宿舍のそばを通ったさい、私が立寄っ
- 1333,631,77,2192ン・カムプスとオランダ人、オランダ人たちの定宿の主人、ジョン・ヨッセンの息子〓義、μ
- 1652,805,71,2105=が行われたからである。さらにまたトラゼモン殿がキャプテン・カムプスにより招か
- 1758,625,68,2030ら、今日は大祭の日で、總べての店は閉ざされてショングワチの祭りの終りの行事
- 1233,622,74,2282我々の定宿の主人のキャプテン・アダムズの子どもたちその他の人々用人とをこれに招いた。
- 726,620,58,161ジェン
- 806,630,78,2178たところ、そこには勇敢な若者で、地代年。收五〇マンゴ力を有するフ。〓ゴ〓〓もしくは
- 1237,2430,66,477とをこれに招いた。
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- 691,856,58,1753の子忠廣は五十萬石の城主だからである。なお〓外註は単に「プィンゴの王と〓る。
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- 1264,2307,44,136使用人
- 730,909,59,1779王〓肥後の方が正しい。肥前の鍋嶋信濃守勝茂は三十五萬石であるが、肥後の加藤肥後守
- 1654,632,41,168と連歌始
- 1365,2668,45,102○養ヽ
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