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オン船群がマニリア諸嶋で不幸にも難破した由で、そのことは眞實であって、スペイン人はも, てならば、彼も我々の側に正義のあるのを認めたい、との回答があっただけでした。, はや彼等に對抗して出撃して來るだけの力をもたない、との確報を、彼等が得たからでありま, 嶋に向かい、他のオランダ船隊に出會うためでありました。というのは、スペイン國王のガリ, 實に就いては、皇帝はこれに介入する積りがなく、彼自身の領土のなかで行われた事柄に就い, そこでその三隻の船、すなわちサン號、ガリアス號、及びアテンダンス號, ようかと考えて、私が皇帝の宮廷へ愁訴に赴くことが適切であると考えられました、, ら當地へ派遣したもので、しかも船内にはイギリス人がひとりもいませんでした。それ故、全, は再び出發させられましたが, に到著しましたが、同船は、我々にとって甚だ不名譽なことに、オランダ人がモルッカ諸嶋か, 及び八日に平戸に到著しました。そしてその後の八月, には、アテンダンス號と呼ぶイギリス船が一隻當地, 員の同意によって、我々が日本で得ている大きな諸特權に鑑み、我々が補償を得ることもでき, 八日, しかし他の場所で行われた事, の最良の織物と生絲を滿載してバンタムに向かうためであり、他の二隻はマニリア諸, 日(, サン號は彼等, 員, ○新暦一六一八年六月十六日、わが元和四年四, アテンダンス號は一六一九年一月二十一出帆した。, 月二十八日に當る。日記のその日の條參照, ○新暦一六一八年八月十八日、わが元和四年六, )蘭名フリーヘンデ〓, に就いては, 月二十四日に當る。日記のその日の條參照一, ホーデvliegende bo0, ○商館の決議, ○オラン, ○アウデ・ゾンネ號とハリアッセ號は一六一八年十月、ヽ, 日記の一六一八年八月十日の條參照。この目的のためのコックスの參府に就。, いては、日記の一六一八年八月二十三日より翌年一月八日までの記事參照。, ダ人。, de, 號。, の非法を愁, 府して蘭人, コックス參, の事に介入, 訴す, アウデ・ゾ, 戸に到る, 秀忠領土外, テンダンス, ンネ號ハリ, せられて平, アッセ號ア, 英船アテン, 號平戸を去, 號平戸に入, ダンス號蘭, するを好ま, ず, 船隊に捕獲, ハリアッセ, 港す, る, 三二, 一六二〇年三月
割注
- ○新暦一六一八年六月十六日、わが元和四年四
- アテンダンス號は一六一九年一月二十一出帆した。
- 月二十八日に當る。日記のその日の條參照
- ○新暦一六一八年八月十八日、わが元和四年六
- )蘭名フリーヘンデ〓
- に就いては
- 月二十四日に當る。日記のその日の條參照一
- ホーデvliegende bo0
- ○商館の決議
- ○オラン
- ○アウデ・ゾンネ號とハリアッセ號は一六一八年十月、ヽ
- 日記の一六一八年八月十日の條參照。この目的のためのコックスの參府に就。
- いては、日記の一六一八年八月二十三日より翌年一月八日までの記事參照。
- ダ人。
- de
- 號。
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- の非法を愁
- 府して蘭人
- コックス參
- の事に介入
- 訴す
- アウデ・ゾ
- 戸に到る
- 秀忠領土外
- テンダンス
- ンネ號ハリ
- せられて平
- アッセ號ア
- 英船アテン
- 號平戸を去
- 號平戸に入
- ダンス號蘭
- するを好ま
- ず
- 船隊に捕獲
- ハリアッセ
- 港す
- る
ノンブル
- 三二
- 一六二〇年三月
注記 (59)
- 410,609,57,2281オン船群がマニリア諸嶋で不幸にも難破した由で、そのことは眞實であって、スペイン人はも
- 935,615,53,2025てならば、彼も我々の側に正義のあるのを認めたい、との回答があっただけでした。
- 305,609,57,2275はや彼等に對抗して出撃して來るだけの力をもたない、との確報を、彼等が得たからでありま
- 516,597,55,2289嶋に向かい、他のオランダ船隊に出會うためでありました。というのは、スペイン國王のガリ
- 1038,600,57,2284實に就いては、皇帝はこれに介入する積りがなく、彼自身の領土のなかで行われた事柄に就い
- 829,663,59,1802そこでその三隻の船、すなわちサン號、ガリアス號、及びアテンダンス號
- 1247,609,60,2025ようかと考えて、私が皇帝の宮廷へ愁訴に赴くことが適切であると考えられました、
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- 1770,1583,56,1310及び八日に平戸に到著しました。そしてその後の八月
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- 1353,618,57,2277員の同意によって、我々が日本で得ている大きな諸特權に鑑み、我々が補償を得ることもでき
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