『日本関係海外史料』 イギリス商館長日記 6 訳文編付録(上)元和5年1月~9年11月 p.130

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返としゆあんこにもくはしり申おき〓、せひ〳〵たのミ申〓、, 〔元和初年〕八月廿日(, 以上、, 八このみ起許清吉郎書状めすてる・あすてる〓, 宛, 六この, 附〓, もしくは博多あたりの商人として時折長崎・平戸を訪れたものか。文面では、商館長ではなく、商館員のオス, コ・ジョン, ルソンとは肌の合わないところがあったが、商館閉〓時まで平戸にいた。差出人の出自は不明であるが、上方, となった青年で、日記の一六一八年四月二十八日の條には、商館長コックスから日本人使用人ビッチョー對馬, って應接した時期に宛てるのも一案であろう。, 言っているところから、商人ではなく水主かも知れない。なお、追而書にある、オスターウィックが長崎出張の, 例に見えるように、江戸參府中のコックスに代, ○ジョン・オス, )ロンドン大英圖書館所藏コット, 氏舊藏文書三|一三|二六|二, ターウィック。, し一六一五年より一六, 本人通詞コ・ジョンで、この人も商館閉〓時まで在勤している。惣じてこの文書の年代は決め難いが、次號の, ため平戸で傳言を受けた「しゅあんこ」はコックスの日記に一六一六年六月六日の條以降しばしば登場する日, 八年までの間か, 六一五年八月三十一日(元和元年七月十八日)平戸に入港したイギリス船ホゼアンダー號で來航してのち商館昌, ○この折紙の文書は年號を闕くが、宛名の「あすてる」すなわちオスターウィックは商館設立の二年後舊暦, 六號文書一, 八の内第, って應接した時期に宛てるのも一案であろう。, 言っているところから、商人ではなく水主かも知れない。なお、追而書にある、オスターウィックが長崎出張の, ターウィックの口約束に從ってジャンク船の碇取り(頭掟)なり、端舟の世話頭(杉板公)なりに雇って欲しいと, を與えられたことが見える。オランダ人を父にもち、ウィッカムも縁者であると日記に見え、コックスやニー, となった青年で、日記の一六一八年四月二十八日の條には、商館長コックスから日本人使用人ビッチョー對馬, ルソンとは肌の合わないところがあったが、商館閉〓時まで平戸にいた。差出人の出自は不明であるが、上方, もしくは博多あたりの商人として時折長崎・平戸を訪れたものか。文面では、商館長ではなく、、商館員のオス, 郎書状, このみ清吉, 追而書, 一六一八年頃, 一三四

割注

  • 例に見えるように、江戸參府中のコックスに代
  • ○ジョン・オス
  • )ロンドン大英圖書館所藏コット
  • 氏舊藏文書三|一三|二六|二
  • ターウィック。
  • し一六一五年より一六
  • 本人通詞コ・ジョンで、この人も商館閉〓時まで在勤している。惣じてこの文書の年代は決め難いが、次號の
  • ため平戸で傳言を受けた「しゅあんこ」はコックスの日記に一六一六年六月六日の條以降しばしば登場する日
  • 八年までの間か
  • 六一五年八月三十一日(元和元年七月十八日)平戸に入港したイギリス船ホゼアンダー號で來航してのち商館昌
  • ○この折紙の文書は年號を闕くが、宛名の「あすてる」すなわちオスターウィックは商館設立の二年後舊暦
  • 六號文書一
  • 八の内第
  • って應接した時期に宛てるのも一案であろう。
  • 言っているところから、商人ではなく水主かも知れない。なお、追而書にある、オスターウィックが長崎出張の
  • ターウィックの口約束に從ってジャンク船の碇取り(頭掟)なり、端舟の世話頭(杉板公)なりに雇って欲しいと
  • を與えられたことが見える。オランダ人を父にもち、ウィッカムも縁者であると日記に見え、コックスやニー
  • となった青年で、日記の一六一八年四月二十八日の條には、商館長コックスから日本人使用人ビッチョー對馬
  • ルソンとは肌の合わないところがあったが、商館閉〓時まで平戸にいた。差出人の出自は不明であるが、上方
  • もしくは博多あたりの商人として時折長崎・平戸を訪れたものか。文面では、商館長ではなく、、商館員のオス

頭注

  • 郎書状
  • このみ清吉
  • 追而書

  • 一六一八年頃

ノンブル

  • 一三四

注記 (38)

  • 401,1280,59,1497返としゆあんこにもくはしり申おき〓、せひ〳〵たのミ申〓、
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  • 357,304,37,200コ・ジョン
  • 984,712,51,2150ルソンとは肌の合わないところがあったが、商館閉〓時まで平戸にいた。差出人の出自は不明であるが、上方
  • 1116,707,52,2158となった青年で、日記の一六一八年四月二十八日の條には、商館長コックスから日本人使用人ビッチョー對馬
  • 550,707,46,879って應接した時期に宛てるのも一案であろう。
  • 807,701,50,2153言っているところから、商人ではなく水主かも知れない。なお、追而書にある、オスターウィックが長崎出張の
  • 594,699,42,918例に見えるように、江戸參府中のコックスに代
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  • 721,707,50,2153ため平戸で傳言を受けた「しゅあんこ」はコックスの日記に一六一六年六月六日の條以降しばしば登場する日
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  • 853,710,48,2152ターウィックの口約束に從ってジャンク船の碇取り(頭掟)なり、端舟の世話頭(杉板公)なりに雇って欲しいと
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  • 1116,704,52,2160となった青年で、日記の一六一八年四月二十八日の條には、商館長コックスから日本人使用人ビッチョー對馬
  • 984,711,50,2152ルソンとは肌の合わないところがあったが、商館閉〓時まで平戸にいた。差出人の出自は不明であるが、上方
  • 940,705,49,2145もしくは博多あたりの商人として時折長崎・平戸を訪れたものか。文面では、商館長ではなく、、商館員のオス
  • 1631,305,41,128郎書状
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