『日本関係海外史料』 イギリス商館長日記 6 訳文編付録(上)元和5年1月~9年11月 p.173

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二〇まてやす, 九年〕拾一月廿五日, 書状めすとる・せいす, 附, 文書(, 宛〔元和, 二〇號, ○この文書は折紙で、年號を闕くが、「其元へ御無事に御とどき〓や」「一たびに本ゑ御きちうなされ〓へかし, として十一月廿五日發信であることから、前號と同じく、一六二三年十二月二十四日(わが元和九年霜月十一, ○舊暦一六二四年, ○ロンドン大英圖書館所藏コットン氏, ○エドマンド, 舊藏文書三|一三|二六-二八の内第, 月五日に當る。, やす」もしくは「まちやす」は、後筆の歐字の「マティアス」という追記が示す通り、歐風の名を名乘る日, で、オランダ商館員マティアス・テン・ブルッケとは別人である。或いはコックスの日記一六二一年八日, 船員。, ・セイヤー。, バタヴィアへ連れ去った幼兒のことである。同じ追而書に見える「あすとるさま」「かくらんさま」「めする, に見えるウィリアム・イートンであり、「うりゑもん」はその侍女「はや」所生のイートンの子で、イートンが, ○日本人, 二日の條に見えるイギリス船隊に雇われてマニラに向かった一〇人の船員のひとりとしてブル號に乘組んだマ, ド・セイヤーに雇われたのではないかとも思われる。文中「じわんとの」はイギリス商館の隣接地に住んでいた, ド・セイヤーの侍女マリアその人でもあろうか。追而書に見える「いしきりばんさま」は、前出第一九號文轟, ティアスが、日記は闕けているが、その後歸國して、商館に出入して、「めすとる・せいす」すなわちエドモン, 平戸の人ジョアン留か、或いは商館の元通詞コ・ジョンのことで、「小まりやさま」は、コックスの日記一六, 日)商館を閉〓して日本を去ったコックスに宛てて、オランダ船フーデ・ホープ號に托して、その安否を問う, はるいさま」「るちゃるさま」「はるい・だんするさま」はそれぞれ、商務員ジョン・オスターウィック、商務, 員ジョゼフ・コクラム、外科醫ロバート・ホーレイ、商務員リチャード・ハドソン、英船。ペパーコーン號乘組, とともに、平戸の知友の動靜を報じ、かつ通信の繼續を乞うたものであることは明らかである。差出人の「ま, 五年九月二十五日の條に見えるマリアの娘マグダリーナか、或いは一六二一年七月六日の條に見えるエドマン, として十一月廿五日發信であることから、前號と同じく、一六二三年十二月二十四日(わが元和九年霜月十一, 本人で, てやす」, 二〇號, 英商館閉鎖, 状, す, まてやす書, 宛〔元和, 一六二四年一月, 一七七, 一六二四年一月

割注

  • ○舊暦一六二四年
  • ○ロンドン大英圖書館所藏コットン氏
  • ○エドマンド
  • 舊藏文書三|一三|二六-二八の内第
  • 月五日に當る。
  • やす」もしくは「まちやす」は、後筆の歐字の「マティアス」という追記が示す通り、歐風の名を名乘る日
  • で、オランダ商館員マティアス・テン・ブルッケとは別人である。或いはコックスの日記一六二一年八日
  • 船員。
  • ・セイヤー。
  • バタヴィアへ連れ去った幼兒のことである。同じ追而書に見える「あすとるさま」「かくらんさま」「めする
  • に見えるウィリアム・イートンであり、「うりゑもん」はその侍女「はや」所生のイートンの子で、イートンが
  • ○日本人
  • 二日の條に見えるイギリス船隊に雇われてマニラに向かった一〇人の船員のひとりとしてブル號に乘組んだマ
  • ド・セイヤーに雇われたのではないかとも思われる。文中「じわんとの」はイギリス商館の隣接地に住んでいた
  • ド・セイヤーの侍女マリアその人でもあろうか。追而書に見える「いしきりばんさま」は、前出第一九號文轟
  • ティアスが、日記は闕けているが、その後歸國して、商館に出入して、「めすとる・せいす」すなわちエドモン
  • 平戸の人ジョアン留か、或いは商館の元通詞コ・ジョンのことで、「小まりやさま」は、コックスの日記一六
  • 日)商館を閉〓して日本を去ったコックスに宛てて、オランダ船フーデ・ホープ號に托して、その安否を問う
  • はるいさま」「るちゃるさま」「はるい・だんするさま」はそれぞれ、商務員ジョン・オスターウィック、商務
  • 員ジョゼフ・コクラム、外科醫ロバート・ホーレイ、商務員リチャード・ハドソン、英船。ペパーコーン號乘組
  • とともに、平戸の知友の動靜を報じ、かつ通信の繼續を乞うたものであることは明らかである。差出人の「ま
  • 五年九月二十五日の條に見えるマリアの娘マグダリーナか、或いは一六二一年七月六日の條に見えるエドマン
  • として十一月廿五日發信であることから、前號と同じく、一六二三年十二月二十四日(わが元和九年霜月十一
  • 本人で
  • てやす」
  • 二〇號

頭注

  • 英商館閉鎖
  • まてやす書
  • 宛〔元和

  • 一六二四年一月

ノンブル

  • 一七七
  • 一六二四年一月

注記 (43)

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  • 1600,1644,42,325○舊暦一六二四年
  • 1600,2071,44,732○ロンドン大英圖書館所藏コットン氏
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  • 1557,1662,41,288月五日に當る。
  • 1020,759,43,2107やす」もしくは「まちやす」は、後筆の歐字の「マティアス」という追記が示す通り、歐風の名を名乘る日
  • 975,795,43,2066で、オランダ商館員マティアス・テン・ブルッケとは別人である。或いはコックスの日記一六二一年八日
  • 1655,1306,42,98船員。
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  • 1107,706,44,2159とともに、平戸の知友の動靜を報じ、かつ通信の繼續を乞うたものであることは明らかである。差出人の「ま
  • 622,708,46,2150五年九月二十五日の條に見えるマリアの娘マグダリーナか、或いは一六二一年七月六日の條に見えるエドマン
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  • 976,707,41,112本人で
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  • 226,806,44,286一六二四年一月
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