『日本関係海外史料』 イエズス会日本書翰集 4 訳文編之1(上) 天文16年11月~19年10月 p.79

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ウロ学院で哲学を教えるため一五四八年にゴアに派遣された。一五四九年から一五五二年まで, ドリゲスによってイエズス会の入会を許されたが、この時すでに司祭に叙階されていた。聖パ, コーチンにいた。一五五二年に日本に渡航し、豊後、平戸及び博多において布教活動に従事し, イエズス会に入った。彼は一五四八年にシモン・ロドリゲスの命により聖パウロ学院の院長と, たが、病気のため一五六〇年にインドに帰った。一五八三年、ゴアにおいて死去した。)、司祭, 一二一五四八年十二月二十六日(○天文十七年十一月二十七日。)付、コーチン, イグナティウス・デ・ロヨラ宛書翰(○ヨゼフ・ヴィッキ編『インド史料集』, 第一巻所収、第六一号文書。), ハルタサール・ガーゴ(○一五二〇年にリスボンに生まれる。一五四六年に同地でシモン・ロ, 〓、〓コラツ才●ランチロット(○第六号文書参照。)のローマにある, ゴアの学院に残っているのは、院長アント二オ・ゴメス(○一五四四年にコインブラにおいて, してインドへ送られた。ゴアには同年十月八日に同行者達と共に着いた。)、修院の教師, ○上略。)マエストロ・フランシスコ(〇フランシスコ・ザビエル。)が日本へ出発した後、, ゴアの, (mestre de casa, mestre de casa, (ignatius de loyola), ル・ガーブ, バルタザー, コメス, アント二オ, ランチロ〃, トの書翰, 二コラオ, ランチロ, 二コラオ, 八〇

割注

  • mestre de casa
  • (ignatius de loyola)

頭注

  • ル・ガーブ
  • バルタザー
  • コメス
  • アント二オ
  • ランチロ〃
  • トの書翰
  • 二コラオ

キャプション

  • ランチロ
  • 二コラオ

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  • 八〇

注記 (27)

  • 524,589,67,2277ウロ学院で哲学を教えるため一五四八年にゴアに派遣された。一五四九年から一五五二年まで
  • 625,593,70,2269ドリゲスによってイエズス会の入会を許されたが、この時すでに司祭に叙階されていた。聖パ
  • 423,599,63,2270コーチンにいた。一五五二年に日本に渡航し、豊後、平戸及び博多において布教活動に従事し
  • 932,590,67,2282イエズス会に入った。彼は一五四八年にシモン・ロドリゲスの命により聖パウロ学院の院長と
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