『日本関係海外史料』 イエズス会日本書翰集 7 訳文編之2(下)天文23年12月~弘冶1年12月 p.4

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船の一隻はインドに戻り、他の便を運んでいたもう一隻は、マザンビーケで冬を越しました。, ですから、猊下は昨年私の書翰を受け取ることはなかったでしょう。しかしながら、いずれか, した。昨年、すなわち〔一五〕五四年一月に、私は二便によって猊下に書き送りました。ナウ, ンサロpedro goncaloを指す。)が私に送ったもので、猊下が彼のために送った(〇『インド, ビーケ(〇モザンビーク。)まで来ました。そして、ついに〔一五〕五四年九月にインドに来ま, のナウ船がポルトガルに着いていれば、猊下はこちらからの情報を受け取っていることと思い, 月二日。)に、私は猊下からの別の書翰二通を受け取りました。一通は大赦を得た聖年〔一, 巻、第一六号文書を指す。)。これらの書翰が主においていかに大きな慰めと歓びを私達に与え, 五〕五二年一月二十七日付のもので、もう一通は二月二日付のものです(○『インド史料集』, 巻、第二号文書を指す。)、もう一通は十二月二十六日付のものです(○『インド史料集』第三, 第二巻、第六五号文書、第七三号文書参照。)。それらは、コーチンの司教代理(〇ペドロ・ゴ, てくれたかを、私は猊下に書き記すことは到底できません。降誕祭から八日目(〇一五五五年, 史料集』第二巻、第七三号文書参照。)箱に入れて届けられました。〔一五〕五二年にこれらの, 書翰を齎したナウ船はポルトガルに戻りました。〔一五〕五三年に再びこちらに向かいマザン, ます。既に、これらの地域におけるイエズス会の柱石であったパードレ・メストレ・フランシ, パードレ・メストレ・フランシ, に書翰を送, 昨年口ヨラ, る, 四

頭注

  • に書翰を送
  • 昨年口ヨラ

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注記 (20)

  • 635,588,55,2285船の一隻はインドに戻り、他の便を運んでいたもう一隻は、マザンビーケで冬を越しました。
  • 531,591,54,2307ですから、猊下は昨年私の書翰を受け取ることはなかったでしょう。しかしながら、いずれか
  • 738,598,56,2302した。昨年、すなわち〔一五〕五四年一月に、私は二便によって猊下に書き送りました。ナウ
  • 1153,595,58,2313ンサロpedro goncaloを指す。)が私に送ったもので、猊下が彼のために送った(〇『インド
  • 840,595,59,2311ビーケ(〇モザンビーク。)まで来ました。そして、ついに〔一五〕五四年九月にインドに来ま
  • 427,590,54,2309のナウ船がポルトガルに着いていれば、猊下はこちらからの情報を受け取っていることと思い
  • 1468,619,57,2268月二日。)に、私は猊下からの別の書翰二通を受け取りました。一通は大赦を得た聖年〔一
  • 1675,593,56,2317巻、第一六号文書を指す。)。これらの書翰が主においていかに大きな慰めと歓びを私達に与え
  • 1363,597,59,2281五〕五二年一月二十七日付のもので、もう一通は二月二日付のものです(○『インド史料集』
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  • 1260,591,55,2312第二巻、第六五号文書、第七三号文書参照。)。それらは、コーチンの司教代理(〇ペドロ・ゴ
  • 1572,596,55,2314てくれたかを、私は猊下に書き記すことは到底できません。降誕祭から八日目(〇一五五五年
  • 1049,589,57,2316史料集』第二巻、第七三号文書参照。)箱に入れて届けられました。〔一五〕五二年にこれらの
  • 946,585,55,2317書翰を齎したナウ船はポルトガルに戻りました。〔一五〕五三年に再びこちらに向かいマザン
  • 325,580,54,2321ます。既に、これらの地域におけるイエズス会の柱石であったパードレ・メストレ・フランシ
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