『日本関係海外史料』 イエズス会日本書翰集 7 訳文編之2(下)天文23年12月~弘冶1年12月 p.130

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コエリョという者がそれらの文字を書いたということです。, ると穏やかな天候になったので、私達は多少の身の回りの品や棺を取り出して、それを船に積, いからです。そして、[その日の(〇ローマ・イエズス会文書館文書により補う。)]十時にな, 私達の主が大いに称め讃えられますように。, み込みました。そして、その他のものを再びたくさん積み込みました。また盗まれたものも他, ました。この船路では私達が目撃したり経験したことについて書くべきことがたくさんありま, にたくさんありました。こうした事態でしたので、深く憐みを覚えました。すべてによって、, こで終わりにします。なぜなら、ことが起こった通りに語るとしたら、二〇丁の紙でも足りな, 死んでいるようだったからです。そして私は、このことについてさらに最後まで語らずに、こ, 六月二十四日、サン・ジョアン(○聖ヨハネ。)の日になって、私達はシナに向けて出発し, ここで、パードレはある岩石の傍でミサを挙げました。そこには石に刻まれた一基の十字架と、, 三二年前に刻まれたと書かれている文字がありました。そして、数人の者の言葉(〇アジュダ, 図書館の古写本第二では「考えparecer)となる。)によれば、ブラジルにいるドゥアルテ, そして、七月二十日に私達はサン・ショアン(〇上川島。)に到着しました。そこで、パー, した。私達はプロ・シャムパロ(〇プロ・チャムペロpulo champelo〓)と称する島に到着し、, 出帆す, 中国に向け, ムペ口島で, プロ・チヤ, ミサを立つ, 上川島に到, る, 着す, 三〇

頭注

  • 出帆す
  • 中国に向け
  • ムペ口島で
  • プロ・チヤ
  • ミサを立つ
  • 上川島に到
  • 着す

ノンブル

  • 三〇

注記 (24)

  • 464,607,52,1440コエリョという者がそれらの文字を書いたということです。
  • 1498,600,58,2320ると穏やかな天候になったので、私達は多少の身の回りの品や棺を取り出して、それを船に積
  • 1601,605,59,2312いからです。そして、[その日の(〇ローマ・イエズス会文書館文書により補う。)]十時にな
  • 1192,600,53,1060私達の主が大いに称め讃えられますように。
  • 1395,601,56,2318み込みました。そして、その他のものを再びたくさん積み込みました。また盗まれたものも他
  • 978,598,57,2314ました。この船路では私達が目撃したり経験したことについて書くべきことがたくさんありま
  • 1291,601,58,2276にたくさんありました。こうした事態でしたので、深く憐みを覚えました。すべてによって、
  • 1706,602,61,2318こで終わりにします。なぜなら、ことが起こった通りに語るとしたら、二〇丁の紙でも足りな
  • 1813,599,57,2321死んでいるようだったからです。そして私は、このことについてさらに最後まで語らずに、こ
  • 1082,639,57,2275六月二十四日、サン・ジョアン(○聖ヨハネ。)の日になって、私達はシナに向けて出発し
  • 772,601,56,2340ここで、パードレはある岩石の傍でミサを挙げました。そこには石に刻まれた一基の十字架と、
  • 669,600,57,2314三二年前に刻まれたと書かれている文字がありました。そして、数人の者の言葉(〇アジュダ
  • 564,593,58,2277図書館の古写本第二では「考えparecer)となる。)によれば、ブラジルにいるドゥアルテ
  • 353,653,61,2257そして、七月二十日に私達はサン・ショアン(〇上川島。)に到着しました。そこで、パー
  • 873,599,57,2311した。私達はプロ・シャムパロ(〇プロ・チャムペロpulo champelo〓)と称する島に到着し、
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