『日本関係海外史料』 イエズス会日本書翰集 8 訳文編之3 弘冶1年11月~永禄2年11月 p.50

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た。国王は私達に、今は寒さが厳しいので、行く時ではなく、デウスの教えを説くことができ, は豊後で出会いました。しかし、かの地がいくらか落ち着いた後、キリスト教徒達は新たに別, の許に行き、私達の出発についてどのように思われるのか、〔伺いを立てるべく〕報告しまし, 答えました。そこで私達は、今は行くのを取りやめ、冬が過ぎたら必ず行くと約束して彼等に, る彼の国(○豊後。)にいるべきであり、冬が過ぎたら私達に出発するように言うであろうと, 消線が引かれ、「別のoutro]と書き改められている。アントニオ・ヴァスは、一五一七年、, のパードレ(〇スペイン国立文書館所蔵の原本では、「アントニオ・ヴァスantonio vaz」に抹, おけるラテン語教師を務む。)を求めることに決め、そのために私達に書翰を書き認めてきま, ポルトガルのレイリアleiria生まれ。一五四八年、イエズス会に入会。ゴアの聖パウロ学院に, した。ちょうど冬のさなかであり、寒さが非常に厳しいため、私達が行くのはまったく無益な, ことと思われました。また、私達は豊後国王の意見を仰がずには何事も行ないませんので、彼, そのことを書き送りました。, すでに尊師に書き認めましたように、パードレ・コスメ・デ・トルレスはかの地を出て、私達, 皆が覚えているようにと伝えさせました。多数のキリスト教徒達が八乃至一〇レグアの所から, 降誕祭が近づくと、村々のすべてのキリスト教徒に、それが何日であるかと、〔その日を〕, 明けの出発, を勧む, スト教徒パ, 遣を請う, 大友義鎮冬, ードレの派, 山口のキリ, 降誕祭, 五〇

頭注

  • 明けの出発
  • を勧む
  • スト教徒パ
  • 遣を請う
  • 大友義鎮冬
  • ードレの派
  • 山口のキリ
  • 降誕祭

ノンブル

  • 五〇

注記 (24)

  • 644,465,42,1736た。国王は私達に、今は寒さが厳しいので、行く時ではなく、デウスの教えを説くことができ
  • 1276,466,42,1740は豊後で出会いました。しかし、かの地がいくらか落ち着いた後、キリスト教徒達は新たに別
  • 723,467,42,1732の許に行き、私達の出発についてどのように思われるのか、〔伺いを立てるべく〕報告しまし
  • 484,460,43,1739答えました。そこで私達は、今は行くのを取りやめ、冬が過ぎたら必ず行くと約束して彼等に
  • 566,464,40,1736る彼の国(○豊後。)にいるべきであり、冬が過ぎたら私達に出発するように言うであろうと
  • 1120,463,40,1716消線が引かれ、「別のoutro]と書き改められている。アントニオ・ヴァスは、一五一七年、
  • 1197,467,42,1735のパードレ(〇スペイン国立文書館所蔵の原本では、「アントニオ・ヴァスantonio vaz」に抹
  • 961,465,40,1736おけるラテン語教師を務む。)を求めることに決め、そのために私達に書翰を書き認めてきま
  • 1041,464,40,1736ポルトガルのレイリアleiria生まれ。一五四八年、イエズス会に入会。ゴアの聖パウロ学院に
  • 882,466,41,1734した。ちょうど冬のさなかであり、寒さが非常に厳しいため、私達が行くのはまったく無益な
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  • 410,463,36,506そのことを書き送りました。
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  • 246,462,43,1734皆が覚えているようにと伝えさせました。多数のキリスト教徒達が八乃至一〇レグアの所から
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