『日本関係海外史料』 イエズス会日本書翰集 8 訳文編之3 弘冶1年11月~永禄2年11月 p.162

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って攻め滅ぼしたということです。私が覚えている限りでは、その晩双方から計七〇〇○人の, した。これらのことが起こったのは、私達が豊後へ着く二箇月前のことでした。, に、豊後の国王が王国の大身達と共にやって来て、謀反の疑いがあるといい、人びとが言うに, は、彼もまた火と刀剣を持って、重立った大身一三人とそれぞれの家、一族、家臣諸共火を放, へ移ってからのことですが、私達が着く一五日前(〇アジュダ図書館所蔵の古写本には「五〇, スの御意志に対して有する従順さと、蛇の頭を足下に踏みつけるために戻りたいという願望で, り、その土地は大変な恐怖のもとにあったので、パードレ達は単に鳩のように素直であるばか, 乱とそこから来る不安によってその土地は不穏になり、キリスト教徒達は毎日不安な日々を送, 日前」とある。ここではローマ・イエズス会文書館所蔵古写本及びエヴォラ版により訂正。), てもかつての山口に戻ることはないだろうとのことです。しかし何よりも注目すべきは、デウ, 死者が出ました。これらの大身達の死の結果として、豊後の国王は、豊後から七レグアのとこ, ろにあるひとつの山(〇臼杵城。)に避難することになりました。今も彼はそこにいます。戦, パードレ(〇コスメ・デ・トルレス。)とイルマン(〇ジョアン・フェルナンデス。)が豊後, りでなく、蛇のごとく賢くあらねばならず(○「マタイによる福音書」一〇章一六節)、一晩, 抵抗せんとする聖なる熱意に燃えていました。パードレの言葉によりますと、一〇〇年かかっ, 義鎮臼杵城, に避難す, 対する反乱, 山口は再興, 大友義鎮に, 不能, 一六二

頭注

  • 義鎮臼杵城
  • に避難す
  • 対する反乱
  • 山口は再興
  • 大友義鎮に
  • 不能

ノンブル

  • 一六二

注記 (22)

  • 624,474,39,1726って攻め滅ぼしたということです。私が覚えている限りでは、その晩双方から計七〇〇○人の
  • 1099,468,39,1462した。これらのことが起こったのは、私達が豊後へ着く二箇月前のことでした。
  • 783,467,39,1732に、豊後の国王が王国の大身達と共にやって来て、謀反の疑いがあるといい、人びとが言うに
  • 703,466,39,1737は、彼もまた火と刀剣を持って、重立った大身一三人とそれぞれの家、一族、家臣諸共火を放
  • 940,474,40,1724へ移ってからのことですが、私達が着く一五日前(〇アジュダ図書館所蔵の古写本には「五〇
  • 1178,469,40,1734スの御意志に対して有する従順さと、蛇の頭を足下に踏みつけるために戻りたいという願望で
  • 307,463,40,1739り、その土地は大変な恐怖のもとにあったので、パードレ達は単に鳩のように素直であるばか
  • 386,464,39,1740乱とそこから来る不安によってその土地は不穏になり、キリスト教徒達は毎日不安な日々を送
  • 861,466,40,1710日前」とある。ここではローマ・イエズス会文書館所蔵古写本及びエヴォラ版により訂正。)
  • 1258,462,39,1738てもかつての山口に戻ることはないだろうとのことです。しかし何よりも注目すべきは、デウ
  • 545,466,39,1734死者が出ました。これらの大身達の死の結果として、豊後の国王は、豊後から七レグアのとこ
  • 466,470,39,1734ろにあるひとつの山(〇臼杵城。)に避難することになりました。今も彼はそこにいます。戦
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  • 227,467,41,1734りでなく、蛇のごとく賢くあらねばならず(○「マタイによる福音書」一〇章一六節)、一晩
  • 1336,465,39,1730抵抗せんとする聖なる熱意に燃えていました。パードレの言葉によりますと、一〇〇年かかっ
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